1つのデータを最適に収集し循環・活用させる
~がん領域におけるデータ統合を目指すCyberOncology事業の推進
『1つのデータは雨の一滴の如く、小さな川から大河に集まり海となり雲となり、私たちの「いのち」を支える。そして1つのデータを最適に収集し循環・活用させることで「いのち」を支える事が出来る』。松本繁巳氏が率いる京都大学大学院医学研究科リアルワールドデータ研究開発講座HPの巻頭言である。
同講座の設立目的を「がん診療に関わるリアルワールドデータの利活用を推進し、より安全で効率的な医療を提供するとともにわが国の医療産業の活性化に寄与する」とする松本氏に、RWD(リアルワールドデータ)利活用の現状、そしてその課題解決のために採用し推進しているCyberOncology (電子カルテへの入力を支援するシステム)プロジェクトについて聞いた。
第1回は、「リアルワールドデータ利活用のサスティナブルな体制とは」、「患者情報の収集方法と共通の過不足のないデータを入れるために」、そして「CyberOncologyとの出会いとその発展」である。
(聞き手:21世紀メディカル研究所 主席研究員・阪田英也 構成:同 研究員・柏木 健)
ーー松本先生は現在、京都大学大学院医学研究科リアルワールドデータ研究開発講座の特定教授を務められています。この講座の意義、そして目標についてお聞かせください。
松本:リアルワールドデータ研究開発講座は、新しい産学共同講座として2020年4月、NTT、キヤノンメディカルシステムズ、H.U.グループホールディングスの支援を受けてスタートしました。
電子カルテが普及したわが国でも、各施設の電子カルテから質の高いデータを収集出来るプラットフォームは未だ存在しません。一方、スマートフォンやウェアラブルデバイスの進歩は目覚ましく、患者個人のIT・健康リテラシーは年々向上しており、患者を中心としたリアルワールドデータプラットフォームの構築が現実化してきています。
リアルワールドデータ研究開発講座のビジョンは、「がん診療に関わるリアルワールドデータの利活用を推進し、社会に対してより安全で効率的な医療を提供するとともに、わが国の医療産業の活性化に寄与する」ことです。1人1人の患者さんはもちろん社会全体のために、リアルワールドデータを利活用出来るサスティナブルな体制を構築することを目標としています。
ーー電子カルテの接続、統合はいわば永遠の課題です。いまから30年前の90年代に患者データを収集して分析するにはどのような方法を取られていたのですか。
松本:90年代後半は、国立がん研究センター東病院で消化器内科レジンデントとして研修していました。この時代はオーダリングはありましたが、患者情報の記載は紙カルテでした。ですから患者データを横断的に収集して一つの疾患を調べようとすると、100〜200のカルテを調べないといけません。土日などで夜な夜な紙カルテをカルテ閲覧室の床に並べ、それを自分のコンピュータに打ち込んでいくといったような作業をしなくてはなりませんでした。
そして困ったことに、カルテの記載も皆バラバラです。必要な事を書いていない先生もいる。しかし検査データなどは残っている。バラバラですが、一つの疾患を調べようとするためには必要なものは残ってはいるので、そこにシートを挟み込んでカルテに入れたり、ハンコをつくったりして欠落している患者情報を当該の先生に追記してもらうことを実行しました。正しい患者情報を集積するためには入力の段階で制御しなければならないという発想をその頃に持った記憶があります。
ーーそして2000年に入っても患者情報の収集方法にはあまり変化はありませんでした。松本先生が疑問に思われ、これを何とか改良しようと思われた転機とは。
松本:2003年に京都大学医学部附属病院(以降:京大病院)に日本で初めて外来化学療法を推進し研究する探索臨床腫瘍学講座が出来ました。それまで抗がん剤投与は入院が原則でしたが、この頃から効率的にかつ安全に抗がん剤投与を外来で行なえるようになりました。この講座に消化器がん、血液がん、肺がん、乳腺がんの専門医4人とがん化学療法専門看護師・がん専門薬剤師が集まり、チーム医療による外来化学療法体制を構築しました。私は消化器がんをメインに担当していましたが、外来化学療法部では、お互いの専門を越えて、他のがん腫の患者さんも診察し、有害事象対応や当日の化学療法施行の是非を判断していました。
京大病院には、多様でかつ多くのがん患者さんが来院され、ここで一気にたくさんのデータを取れる。ならば、4人の専門医でがん患者さんの共通で過不足のないデータを収集するためにはどのような方法があるのかを考え始めました。外来の患者さんには、入院と違って診察においても長い時間は割けません。短時間で正しい診療情報を入力するためには、データベースに直接打ち込むことが必要です。また、21世紀に入って普及した電子カルテへの連動も必要です。このような課題を解決するアプリケーションを探していたということです。
ーーがん領域の患者情報を入力時に制御するアプリケーション・ソフトCyberOncologyですね。
松本:CyberOncologyは、電子カルテへの入力を支援するアプリケーション・ソフトであり、同時に構造化データベース化を可能にするシステムです。プルダウンメニュー形式で、リストから標準化された医療情報を選択して入力でき、データを構造化して蓄積します。これにより構造化されたデータベースを構築でき、医療機関におけるRWD(リアルワールドデータ)の利活用を支援します。
CyberOncologyは、これまで困難であった次の3つの構造化データベース化を可能にしました。1つ目は、「電子カルテにおける基本情報」、2つ目は「薬剤情報、レジメン(がん化学療法)情報、検査データ」、3つ目は「時系列の有害事象、メディカルスタッフの記録」です。
松本:2003年にCyberOncology開発者のサイバーラボ社の加藤さん(現PRiME-R社シニアフェロー)と出会いました。偶然かもしれませんが、加藤さんが京大医学部臨床講堂で「サイバーフレームワーク」という、後にCyberOncologyのプラットフォームとなるコンセプトをテーマに講演されており、フレキシブルにアプリケーションを作れるシステムに魅力を感じました。そのとき加藤さんに依頼したのは、私がファイルメーカーで作っていた入力システムがあり、「このようなものをサイバーフレームワークで作っていただけませんか」と依頼しました。
2003年の年内にCyberOncologyのVer.1が誕生し、翌2004年には外来化学療法室の部門システムとしてのVer.2、2006年に京大附属病院に電子カルテが導入されたのを受けて、電子カルテと連動するVer.3が出来ました。
――そして2012年には、バイオバンクプロジェクトでの活用を目的としたVer.4。2014年には、AMED(日本医療研究開発機構)臨床統合データベース(DB)へとCyberOncologyは進化していきます。
松本:CyberOncologyの進化には2つの幸運が作用しています。1つは産学連携による寄付講座が開発資金を提供してくれたこと。もう1つは当時の外来化学療法部長、薬剤疫学教授を兼任されていた福島雅典先生がCyberOncologyを継続的にアップグレードする推進力となってくれたことです。
その後、現在の腫瘍内科教授の武藤 学先生が国立がんセンター東病院から京大の消化器内科に赴任され合流しました。武藤先生は、「施設隣接型のバイオバンクを京大に作ろう」と主唱され
「単に患者情報をバンキング(集積)するだけでなく、臨床情報を融合させよう」という発想がありました。Ver.4は、CyberOncologyの臨床データと検体情報を紐付けることを目的に開発しました。そこが上手くいき、 AMED科研費に武藤先生が「臨床統合データベースDB」として応募され、これが通って全国のアカデミアに広げていこうとなったわけです。
2016年の段階でこのプロジェクトに参加したのは全国の7病院で、全て現在のゲノム医療中核拠点病院です。そのときの大きな成果は、ベンダーや電子カルテのシステムが異なるDBから共通の臨床情報を収集するということでした。
――さらに同年には、がん登録推進法が成立してがん臨床情報の集積についての世論的な後押しが出来ました。
松本:そうです。がん臨床情報の集積の重要性を世間で言われ出した頃です。しかし、がん登録推進法で私がおかしいと思うのは、カルテは原資料なのでカルテに登録情報が記載されているべきですが,記載は見当たりません。がん登録は、がん登録士がカルテから情報を読み取るわけですが、医師がカルテに正確な情報を記載していない場合もあります。その結果、統合的、横断的な分析が難しい状態になっています。必要な医療情報は、カルテに正確に記載する場所を作りデーターベース化していく。この作業にがん登録士も参画する。ここは是正しなくてはならないと私は思います。
――そして2019年には、C-CAT(がんゲノム情報管理センタ−)との連携が「Journey of CyberOncology」に記載されています。
松本:C-CATとは、“がんゲノム情報と臨床情報の双方を集約・管理し、利活用を支援するためのプラットフォーム”です。 C-CATに情報を集約する目的ですが、遺伝子パネル検査は一度に多くの遺伝子検査を行うことができますが、現時点では、候補薬剤も少なく必ずしも治療に直接つながるとは限らない。ですからC-CATでビッグデータを構築し、新たな治療法を開発することが狙いです。
2019年6月に遺伝子パネル検査が保険承認された段階で、C-CATにはその遺伝子パネルの情報だけではなく、臨床情報もC-CATに提出を義務付けられた保険制度になりました。その時、がんゲノム医療中核病院では、電子カルテから臨床情報を収集することになり、京大と北大はCyberOncologyを使ってC-CATにデータ提出することになりました。他のゲノム中核病院は富士通が担当し、がんゲノム医療連携病院ではEDC*による提出となりました。
(EDC:Electronic Data Captureの略称。インターネットを使い電子的に臨床データを収集すること、またはそのシステムを指す。電子的臨床検査情報収集)
CyberOncologyを使う場合は、電子カルテに直接入力することで、C-CATにも提出できかつカルテにも残ります。また2度打ちがいりません。それ以外の場合は、2度打ちしなくてはならないといった事になります。
――電子カルテが、接続、統合出来ない原因は、80年代に当時の通産省が大蔵省に、「コンピュータは急速に発展して一大産業に発展するから自由競争にしていかねばならない」、「電子カルテも複数社による自由競争にすべき」との方針があったからと言われています。
松本:ベンダーが複数あるのはいいのですが、「基本マスター」のようなものを国がしっかり国際連携して標準化し、ベンダーに使わせれば、もっと話は早かったと思います。最近は、アメリカのフラットアイアン社が電子カルテから有効性の高いデータ収集し、リアルワールドエビデンスを構築しはじめています。この点では、わが国は大分遅れを取っていると認識しています。
私は、電子カルテのRWDのプラットフォームとしてCyberOncologyを使うことを主眼としています。医療者が実臨床でCyberOncologyを利用することでRWDが構築される。例えばがんだけではなく、他の疾患にも使える。つまりは電子カルテを書きながらデータが溜まっていく。そういったプラットフォームとしてのスタンスをめざしています。
――CyberOncologyの未来についてお聞きします。CyberOncologyが徐々に全国の医療機関に浸透してその価値が高まり、改良を重ねることで良いものになってきていると思います。松本先生にとって現在の機能は満足いくものになっているでしょうか。
松本:まだ満足はしていないのですが、いちばん強調したいところは、質の高いデータ入力を担保してマルチパーパスユースを目指しているということです。電子カルテでCyberOncologyを使っていけば、他のデータベースにも連動できて、レジストリや臨床研究・治験にも使える。そういったプラットフォームにするために、今後は継続してQuality by designを高めていくことが必要です。
第1回おわり。第2回に続く
小室 一成(こむろ いっせい)氏
東京大学大学院医学系研究科循環器内科学教授
1957年生まれ。1982年 東京大学医学部医学科卒業。1984年 東京大学医学部附属病院第三内科医員。1989年 ハーバード大学医学部留学。1993年 東京大学医学部第三内科助手。1998年 同大学医学部循環器内科講師。2001 年 千葉大学大学院医学研究院循環器内科学教授。2006 ~2008 年 千葉大学医学部附属病院副病院長。2009 年 大阪大学大学院医学系研究科循環器内科学教授。2012 年より現職
●主な学会活動
日本循環器学会理事 日本医学会連合理事 アジア太平洋循環器学会副理事長 日本心臓病学会理事 日本心不全学会理事日本臨床分子医学会理事 日本心血管内分泌代謝学会理事 国際心臓研究学会理事 日本心臓財団理事ほか
小室 一成先生 インタビュー
2016年7月から2020年6月までの2期4年間、日本循環器学会の代表理事として同学会を率いてこられた小室一成氏。80年以上の歴史がある日本循環器学会において代表を2期務めたのは2人しかいない中で、小室氏は多くの改革をされた。またこの間、循環器領域において最大のトピックスは「循環器病対策基本法」の成立・施行であり、この新法の成立にも奔走、尽力された小室氏に、これからの循環器医療をテーマにお話を伺った。
第1回は、日本循環器学会の代表理事に就任された動機、循環器疾患の研究の現状と課題。そして日本循環器学会が創設した「心不全療養指導士」について伺った。
(聞き手:21世紀メディカル研究所 主席研究員・阪田英也 構成:同 研究員・柏木 健)
2020年11月12日
日本の循環器診療、循環器研究のあり方を変える。
~日本循環器学会代表理事を終えて 第1回
小室 一成先生 インタビュー
――日本循環器学会の代表理事を2期4年、お務めになりました。学会活動を率いられて、様々な感慨があるかと思いますが、まず代表理事になろうと考えた動機から教えてください。
小室:そもそも私が日本循環器学会の代表理事になろうと思ったのは、我が国の循環器診療、研究に危機感を感じたからです。私は、東京大学、その前の大阪大学、そして千葉大学と、循環器内科の主任としていろいろな改革をしました。しかし、一つの大学の一科長では、一教室は変えられても、我が国の循環器診療・研究を変えることはできません。そこで、日本循環器学会の代表理事になり、まずは学会を改革することによって、日本の循環器診療と研究を変えようと思いました。
日本循環器学会は約85年の歴史があり現在会員が2万6千余と大変大きな学会になっています。これまで循環器学会は、専門医の育成を第一に考え、毎年学術集会を開催し、学術誌としてCirculation Journalを発行し、専門医制度をつくって今までに1万4000人余りの専門医を認定してきました。つまり日本循環器学会は、諸先輩方のご努力により、学会として非常に立派な伝統を築いてきたと思います。
しかし生活習慣が欧米化し、超高齢社会を迎えている我が国において、心不全をはじめとした循環器疾患患者が急増し、専門医の育成だけでは患者を十分救うことができなくなっています。一方で、日本から治療用デバイス(医療機器)が開発されることはほとんどありませんでしたが、最近ではそればかりか、新しい薬の開発も非常に少なくなってしまいました。このような循環器医療を取り巻く厳しい状況を変えるには、従来の活動だけでは十分とは言えず、イノベーションが必要なのではないかと思いました。
さらに私が大きな危機感を持ったのは、創薬やデバイス開発の基礎となる研究力の低下です。循環器疾患に関しては新しいデバイスが海外から毎年のように入ってきており、専門性が非常に高度になっています。さらに患者も増加しているため、循環器専門医は日常診療で多忙を極め、以前より研究に割く時間が少なくなりました。その結果、研究者数は減り、基礎研究の論文数に至っては10年前の半分以下になってしまいました。
――臨床の医師が行う臨床研究に対して基礎研究も重要です。循環器領域の基礎研究は、どのような立場の医師が行っているのでしょうか。
小室:欧米では、循環器領域の基礎研究の主体は医師以外の基礎研究者です。しかし日本においては、基礎研究の主体は臨床医である循環器内科医なのです。このことは世界的にも珍しく、すでに40年前、ゴールドスタイン(コレステロール研究でノーベル賞を受賞)は臨床医が研究することをガラパゴスと言いましたが、診療に携わっている医師が臨床で感じた疑問を自分で研究し、それを臨床に戻すことができるという我が国のシステムは重要だと思います。
無論このシステムでは循環器内科医の臨床に割く時間が増えれば増えるほど基礎研究は減ってしまいます。また最近では臨床研究が盛んになってきました。このこと自体は喜ばしいことですが、従来基礎研究をやっていた大学の医師などが臨床研究を行うようになったので、その意味でも基礎研究をする人が減っていると思います。
その結果、我が国の循環器医療はどうなっているのかというと、欧米の研究によって明らかにされた事実やその過程を知らずに、ただ開発された薬やデバイスを数年以上遅れて導入して使っているのです。この状況は昭和の時代、まだそれほど豊かでない状況下で欧米に追い付け追い越せと頑張っていた時と同じか、もしかするとそれよりもひどい状況であり、循環器医療では二流国、三流国になったといわれても致し方ないと思います。
――医療では日本は先進国とのイメージを持っていましたが、循環器領域ではいまや二流国、三流国と先生は言われます。東アジア、東南アジアなど近隣諸国の状況についてはいかがですか。
小室:アジアの中で研究をしているのは日本、韓国、台湾、シンガポール、そして最近では中国です。それ以外のアジアの国は臨床で精一杯であり研究はできていません。日本は今まで循環器内科医を中心に忙しいながらも日本から新しい研究成果を発信し、新しい医学を創ろうとしてきました。それが今は逆行してしまって、アジアの多くの国と同じようになってしまいました。言うまでもなく、中国は循環器領域においてもものすごい勢いで研究を行っており、一流誌に掲載された論文数だけみてもすでに10年前に日本は抜かれています。
――きちんと基礎研究をしていて、循環器診療における先進国であった時代は、先生のお考えだと90年代くらいまででしょうか。ここに回帰していくために、学会が出来ることは何でしょうか。
小室:いまは大学病院にも余裕がない状態です。大学病院でさえ、多くの臨床をして収入を上げることが要求されており、大きな収入源である循環器内科は特に期待されています。大学は本来、教育研究機関であって、研究を行うことも重要な使命であると思いますが、今では一般の病院と同じようになりつつあります。そこで研究を活性化するために学会としていくつかの試みを始めました。
一つは、学会の中に基礎研究を活性化するための部会を創設し、毎年基礎研究だけの学術集会を開催することにしました。Basic Cardio-Vascular Research (BCVR)というもので、これまで4回開催しました。2日間全て英語で行うのですが、毎回国内外から400名ほどが参加し、大変活発なディスカッションができています。二つ目として、基礎研究、臨床研究、コメディカルが行う研究に助成を出すことにしました。 他にも最近留学する人が減っているので留学助成を行っており、臨床研究に必要な統計については合宿形式の教育やe-learningを行っています。
――次に先生は、研究だけでなく診療に関しても新しい改革をされました。その一つである「心不全療養指導士制度」について、先生が創設することを考えられた動機からお話しくださいますか。
小室:学会の目的は何か?これは昔から変わらないと思うのですが、「循環器疾患の患者さんを救う」「循環器疾患で亡くなる方を1人でも少なくする」ということです。そのために専門医を育成してきたと思うのですが、前にお話したように専門医の育成だけではその目標を十分達成することはできません。
診療におけるチーム医療の重要性が叫ばれて久しいのですが、チーム医療を行うには専門医だけでは不可能です。かかりつけ医はもちろんのこと、看護師さんや保健師さん、栄養士さん、理学療法士さんなど、様々な職種の方と一緒に考え、協力して患者を診ていく必要があります。日本循環器学会は、2万6千余の会員がいますが、医師以外の方がなっている準会員はわずか数百人しかいない状況です。これでは本当の意味のチーム医療を学会として進めているとはいえません。私は医師以外のメディカルスタッフの育成に関しても学会として取り組むべきだと考えました。
そこで考えたのが「心不全療養指導士制度」です。これは学会の認定制度です。療養指導士制度は糖尿病学会や腎臓協会でも行っている制度ですが、私は心不全療養指導士制度こそが大きな意味を持つ制度だと思っています。その理由は、心不全の診療はまさに多職種の人が高度な専門性を活かして診る必要があるからです。来年の認定を目指して今多くの方が勉強してくださっているのですが、療養指導士の教科書を作ったところなんと3000部も売れ、今まで数百人であった準会員が、最近の3か月だけで1500名余り増えました。非常に多くの方に関心を持っていただいたと思います。
――心不全療養指導士はチーム医療の担い手ですが、具体的にはどういう役割をするのでしょうか。
小室:急性心不全や急性増悪を起こした患者さんが救急車で病院に運ばれたときは専門医が診ます。そして病院の中では、専門医、看護師、栄養士、理学療法士などが参加してチームで診療します。ここにも心不全療養指導士が重要な役割を担いますが、それ以上に重要なのは退院後です。
急性心不全で入院しても多くの場合は退院が可能です。しかし心不全の問題は、すぐに急性増悪し再び入院することです。このように入退院を繰り返すうちに徐々に悪くなり、命を落とすことになります。したがって心不全診療において重要なことは、退院後いかに急性増悪をさせないかということです。
通常、患者さんが退院した後は病院の外来で引き続き診るか、かかりつけ医が診ることになりますが、それだけでは急性増悪を防ぐことはできません。なぜなら、急性増悪の原因は、怠薬や過労、暴飲暴食、感冒などの生活管理の問題だからです。従って退院後は、看護師や保健師、管理栄養士、心理士、理学療法士など、多くの職種の人が診ていくことが必要です。
そこで重要な役割を果たすのが心不全療養指導士です。私は心不全療養指導士には3つのことを期待しています。一つは、多くの職種の人に心不全とはどのような疾患であり、それぞれの職種の人が何をすべきかを学んでいただくこと。二つ目は、それぞれの職種の人が、自分の知識と経験を活かしながらチーム医療を行うこと。そして三つ目は、心不全の地域でのネットワークを作るということです。病院内ではハートチームカンファランスなどが行われていますが、病院外でのチーム医療の実践はまだできていないところが多いと思います。是非心不全療養指導士がイニシアチブをとって、退院後の心不全患者さんに対するチーム医療を行っていただきたいと思います。
――心不全療養指導士を受験される方々は、看護師、保健師、栄養管理士、そして理学療法士も参加とお聞きしています。受験された方々は、小室先生のお考えに賛同し受験されたということですね。
小室:私の若いころは、循環器診療の中心は心筋梗塞でした。しかし現在、その中心は心不全になったと思います。患者数は現在でも120万人と多く、しかも急速に増加し続けています。今後多くの病院の循環器病棟で心不全患者が多数を占めるようになると思います。今まで病院の専門医は、患者が退院後誰に管理してもらったらよいのかわからないことがよくありました。また一般の医師も、心不全患者をどのような管理すべきなのか、誰に相談したらよいのかといった疑問を持っていました。しかし今後は、地域医療の中で「心不全については心不全療養指導士に聞いてみよう」とか、「心不全療養指導士と一緒に診ていこう」となってくれるのではないかと期待しています。多くの方々に関心を持ってもらえて本当によかったと思っています。
(第1回おわり:第2回に続く)
2020年11月18日
日本の循環器診療、循環器研究のあり方を変える。
~日本循環器学会代表理事を終えて 第2回
小室 一成先生 インタビュー
22016年7月から2020年6月までの2期4年間、日本循環器学会の代表理事として同学会を率いてこられた小室一成氏。80年以上の歴史がある日本循環器学会において代表を2期務めたのは2人しかいない中で、小室氏は多くの改革を成し遂げられた。またこの間、循環器領域において最大のトピックスは、「循環器病対策基本法」の成立・施行。新法の成立にも奔走、尽力された小室氏に、これからの心臓病医療をテーマにお話を伺った。
第2回は、日本循環器学会の改革、そして懸案であった「循環器病対策基本法」成立に向けた活動について。
(聞き手:21世紀メディカル研究所 主席研究員・阪田英也 構成:同 研究員・柏木 健)
――循環器診療、循環器研究を変えることを目的に、日本循環器学会の代表理事になられたとお聞きしました。4年間、同学会を率いて来られる中で目標とされたことはどのようなことですか。
小室:これまでの日本循環器学会は、循環器病を克服するために「専門医の育成」を中心に活動してきました。従って主に医師からなる学会の正会員を中心に、毎年開催される学術集会、学術誌の発行、専門医の認定など、正会員だけのコミュニケーションの中で多くのことが行われてきました。しかしそれでは超高齢社会となり心不全を始めとした循環器病患者が急増している現在の状況に十分な対応ができないと思いました。
私は学会をもっとオープンにしてチーム医療を共に実践する医師以外のメディカルスタッフとも一緒に学ぶべきであり、また我々自身が学会の中にこもるのではなく、もっと患者さんや一般市民のところに出て行くべきではないかと思いました。つまり学会としてパラダイムシフトが必要であると考えました。
そのようなことを考えるようになった一つの理由は疾病構造の変化です。今まで循環器疾患というと急性心筋梗塞に代表されるように、高度な治療技術を必要とする急性疾患が中心でしたので学会としても専門医の育成を中心に行ってきました。その結果、急性心筋梗塞による院内死亡率は低下しましたので、学会の方向性は正しく、戦略は功を奏したといえます。しかし超高齢社会となって心不全の重要性が増してきました。心不全の患者数、死亡者数は、心筋梗塞のそれらの約4倍であり現在も増え続けています。
心不全診療の特徴は、急性期治療ももちろん重要なのですが、それと同じくらい回復期、慢性期の治療が重要です。慢性心不全患者は急性増悪を何度も起こし、入退院を繰り返すたびに悪化し、最終的には命を落とします。専門医だけの努力ではこの急性増悪を防ぐことは不可能であり、かかりつけ医や看護師、保健師、薬剤師、理学療法士など多くの職種の人による日常生活の管理が重要となってきます。また生活管理において一番重要なのは患者本人ですので、患者が心不全についてよく理解しないといけません。
循環器病はがんと並ぶ2大疾患ですが、がんと異なるのは、かんと比べて循環器病は環境因子の関与が強いので予防ができるということです。あらゆる循環器病の終末像といわれる心不全の場合は特に予防のチャンスが多いことになります。良い生活習慣を身につけて、高血圧、糖尿病などの生活習慣病にならないようにする予防、生活習慣病から心臓病にならない予防、心臓病から心不全にならない予防、さらに一回心不全になった人でも急性増悪を繰り返さない予防といったように、なんと4回も予防のチャンスがあるのです。
予防をする主役は患者さんであり、国民なので、「循環器病にならない」「循環器病で死なない」ためには患者さんや国民に循環器病についてよく理解してもらい、予防していただかないといけません。つまり「循環病の克服」という学会の大きな目標を考えると、治療と同じぐらい予防が重要であり、そのためには一般国民への啓発が重要だと考えたわけです。
私は2019年、第83回の日本循環器学会学術集会をさせていただいたのですが、医師以外の多くの職種の人にご参加いただき、また患者さんにも講演していただきました。医師以外のメディカルスタッフや患者さんの声を聞くことによって、我々が行っているチーム医療に問題はないのか、患者さんは我々に何を望んでいるのかなどを知ることができてよかったと思います。
また会場のパシフィコ横浜に向かう途中の広場に、循環器病を説明するパネルや心臓カテーテルの練習用の人形を置き、さらには心臓マッサージの講習会を開催して、一般市民に循環器病や循環器治療について触れてもらいました。こうした活動は「循環器病の克服」という学会の目標に合致するものであり、学会の活動としても必要だと思っています。学会員ももっと「町へ出ていく」ことが重要だと思います。
――お話のように、学会改革に腐心されている中で、「循環器病対策基本法」、正式名称は「健康寿命の延伸等を図るための脳卒中、心臓病その他の循環器病に係る対策に関する基本法」が、2018年12月10日にまさに滑り込みセーフで成立しました。疾患別の医療基本法としては、「がん対策基本法」に次ぐ2番目の基本法です。小室先生はこの新法成立に向けて奔走されたと伺っています。
小室:「基本法」の話は日本循環器学会の中で数年前から出ていました。私は以前から「日本循環器学会をもっと活性化したい」と考えていましたが、学会の理事の中に同様な考えの人がおり、「そのためには何が必要か」と議論している内に、「法律が制定されたことで、治療、研究、登録が大きく飛躍したがん分野に見習う必要がある」との結論に至りました。そこで、循環器病の法律をつくるにはどうしたらいいのかという調査をしたところ、日本脳卒中協会の活動を知りました。
日本脳卒中協会は10年以上前から立法化の活動をしており、2014年の通常国会に「脳卒中対策基本法案」を提出しました。しかし「一疾患一基本法は問題である」と反対する議員もいる中で、衆議院が解散になり廃案になってしまいました。日本脳卒中協会としては1度廃案になったものをそのまま出すこともできないので困っていました。そこで循環器病と脳卒中は急性の血管疾患として共通点も多いことから、循環器学会から「一緒にやりませんか」という声を掛けさせていただきました。しかするとそれよりもひどい状況であり、循環器医療では二流国、三流国になったといわれても致し方ないと思います。
――日本脳卒中協会の方々も日本循環器学会が協力を申し出たことで、大きな力添えとなった訳ですね。
小室:当時日本循環器学会の代表理事であった小川久雄先生(国立循環器病研究センター理事長)と一緒に日本脳卒中協会の方々とお会いし一緒に活動することになったのですが、法律を作るということは想像を超えて大変なことでした。脳卒中協会の先生方は循環器学会が一緒に活動することに賛成でしたが、一部の団体は循環器病の種類があまりにも多いために脳卒中の存在が小さくなってしまうという理由で反対されました。また、国会議員の中には、「疾患ごとに基本法をつくっていてはきりがなく医療費も膨大になる」「基本法がなくても活動はできるはずである」などと「絶対反対」の論陣を張る人たちも存在したのです。
まず脳卒中の存在が小さくなってしまうという理由で反対された方々にはその団体に関係する議員や脳卒中協会の方から熱心に説明をしていただき、我々循環器学会としても、脳卒中側の希望を極力尊重するように心がけました。また反対されていた議員にも会って説明をさせていただきました。「死因2位の循環器疾患の中には、5疾病の一つである心筋梗塞を始め、心不全、不整脈、大動脈疾患など多くの疾患があり一疾患ではないこと」、「全国的な登録や啓発・広報を行うには法律が必要であること」「法律ができ研究が推進されれば治療法の開発が進むこと」などを申し上げました。その後も医師会や学会の先生方からのご支援のもと、多くの国会議員への説明とお願いを繰り返したところ、数名の議員以外からは概ねご賛同をいただいたのですが成立させようという機運は今一つ盛り上がりませんでした。
基本法は、議員立法での成立を目指したので、成立させるためには全党の賛成が必要であり、そのためには、各党の厚労関係者を始め主要な議員の賛成が必要です。そこで脳卒中協会からは主に理事長の峰松一夫先生、前理事長の山口武典先生、専務理事の中山博文先生、循環器学会では基本法対策委員会委員長の磯部光章先生と私が、関係する国会議員に説明にあがりお願いをして回りました。多くの議員は反対こそされないのですが成立に関しては悲観的でしたので、毎回議員会館を出るときには、「また頑張りましょう」といっては皆暗い顔で分かれていました。ですから代表理事の1期目が終わった時点では基本法の成立はとうてい無理だと思っていました。
――日本脳卒中協会と日本循環器学会が協働したからといって、新法を成立させることは一朝一夕には出来ない。日本循環器学会の代表理事の一期目が終わる段階では「循環器病対策基本法」の成立は困難と考えられていたのですね。
小室:そうです。いまから4年前のことですが、当時日本脳卒中協会理事長であった山口武典先生と日本心臓財団理事長の矢﨑義雄先生のお二人に「脳卒中・循環器病対策基本法の成立を求める会」の代表になっていただき、2017年4月に参議院議員会館で100名を超える議員を集めて基本法への賛同のお願いをしました。多くの議員が「この法案は重要なので是非成立させましょう」と言ってくださったのですが具体的にはほとんど進みませんでした。
法律を成立させることは本当に難しいと思いましたが、2年間活動したことによって、多くの国会議員の先生方とも知り合いになり、成立させるためには何が必要か少し分かってきていました。そこでさらに2年間活動しても法律が通るか否かはわからないが、ここで私が活動をやめたら法律が通る確率はさらに低くなるのではないかと思い、異例ではありましたが代表理事の2期目をさせていただきました。
――日本循環器学会の代表理事2期目に入られてからは風向きが変わってきましたか。
小室:その後はすごく幸運なことが続きました。度重なる説明とそれまでの活動を理解いただけたのか、反対していた団体による反対活動がだんだん和らいできました。また、反対していた国会議員の方は党や役職が変わり、強硬には反対されなくなっていきました。
2018年11月第2回の「基本法の成立を求める会」を開催したところ、全ての党から賛成を得ることができました。これでやっと少しは前に進むと思ったのですがそう簡単ではありませんでした。会の終了時に基本法をつくる上で中心であった国会議員の先生が、全党から賛同をいただいたが、現在成立を待っている議員立法はすでに30本以上あるので、今回の臨時国会における本法律の成立は無理でしょうとおっしゃったのです。
――それが一昨年、2018年の11月ぐらいですか。その後、小室先生はどのように動かれたのですか。
小室:やっと全党から賛成を得たのでこれで法案は成立するかもしれないと思ったところが、「今回は無理」と言われたので非常に落胆しました。2019年の通常国会には対立法案の上程が予定されているので基本法が審議される可能性はさらに低いので、この臨時国会を逃しては基本法の成立は永遠に不可能だと思いました。そこで皆さんが帰った後でその先生に、「今国会で通す方法は全くないのでしょうか」と伺うと、その方は「もう我々の力では無理だ。あとは国会に任されている」とおっしゃったのです。そこで急いで国会対策委員の先生方にお願いに行くことにしました。
まずは自民党の国会対策委員長に会う必要があると思いました。しかし国会の会期中であったので会ってくださるかわかりません。そこでその委員長の地元の医師会や関係する多くの人に連絡し、委員長が我々に会ってくださるようにお願いしました。必死の活動を続ける中で、自民党の国会対策委員長も臨時国会中にわざわざ会議場から出てきて話を聞いてくれました。そして彼はその場で「何とかしましょう」と言って下さったのです。
約3年間、法案の成立のために国会議員や医師会の先生、厚労省の関係者など、大変多くの方と面談をしました。皆さん大変お忙しい方ばかりなので面談の日時は突然決まります。そのたびに、国内外の学会を含めて多くの予定をキャンセルしては面談に伺いました。12月3日、もうこれ以上できることはないだろうと思い、循環器学会の代表理事として世界循環器学会招致のためにドバイの学会に出かけました。
世界循環器学会の招致に成功し、帰国する12月7日の早朝4時に日本から電話がかかってきました。ある党の代表の方から「小室先生、法案は通りますよ。今日の参院の委員会にかかることになったので午後の本会議で通ります。おめでとうございます」と言われ、最初は寝ぼけていたのですが、急に目が覚めてうれしさがこみ上げてきました。法案は7日の参議院委員会、本会議を通り、翌週月曜日12月10日臨時国会の最終日に衆議院本会議で可決、成立しました。
第2回終わり。第3回に続く